2025年12月28日(日)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについ て、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8



ある人が、高度成長期で、まさに企業戦士であり、懸命に
がむしゃらに働いた。ハードな仕事に、とうとう過労で心身
に異常をきたした。不眠となり、薬に頼るようになり、不安
や孤独感に襲われ、しばし休暇を取った。そんな時、友人
に誘われて教会へ行った。そこでの初めて聞く賛美歌が、
なぜか心にしみ入った。語られる聖書の言葉が、心に響い
た。

だが、わらにもすがりたい、一心であっただけで、何もわか
ってはいなかった。罪人と言われても全くわからなかった。
ある時、「こんな状態の自分は、だめ人間」と口から出た。
その時「それは恵みで、感謝な事ですよ」と言われ、だめだ
からこそ、神の力を知れると。すると、何とムッとし、怒りが
わいたのだ。

だめ人間という事に、他人から、その通りだと言われた事に、
憤然とする自分。口では言うが、心では全く思ってなどいな
い。その時に、自分のプライドがあぶり出された。自分の力で
必死に頑張って来て、プライドが人一倍高く、そのプライドの
せいで、神を認められない。神など必要としない。

恐るべき高慢であり、それこそが罪であると示された。人よ
り優位に立ちたい、勝ちたい、評価され、認められたい、今ま
での人生、そのためにだけ生きて来たのだと、愕然とした。
いつも人との競争だった。それらを御前に認め、告白した時
に、生まれて初めて、心底の安堵を経験した。主が触れて下
さったと感じた瞬間だった。

・・・・・・・・・・・・・・・
罪は自分ではわからない。自分の肉と合致しているからだ。
何とも思っていない。御霊の光に照らされる時に、初めて知る。
大変痛いが罪を知る事は感謝で、主の十字架の意味を真に
知らされて行く。赦しの愛を経験して行く。