2004年03月28日(日)

「だれでも誘惑にあったとき、神によって誘惑されたと言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません」(ヤコブ1:13)

ヤコブ書には誘惑と試練の違いが記されている。誘惑はサタンから来るもので、試練は神から来るもの。誘惑は私達の内なる欲望に、サタンからの餌が差し出され、乗って行く事によって来る。それは、私達の最も弱いところに誘惑的なものとして来るので、引き込まれて行ってしまう。誘惑は、立ち向かい、試練は、耐えるべきもの。そして、神は試練を「この上もない喜びと思いなさい」と言われる。試練は必ず霊的な祝福に変わるからと。なぜなら、試練は神に近づけ、祈りへと追いやるから。人は試練の時、神のもとへ行く。試練の中で、信仰を用い、忍耐を働かせ、成長する。最終的には、かの日にいのちの冠が授けられる。誘惑は拒否拒絶し、試練は受け入れよ。
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誘惑は神から離すためにサタンから来るもの。断固立ち向かい、拒否すべき。神からの試練は受け入れ、耐えるべきもの。試練は痛いけれど、悲しいけれど、大きな祝福。この世でも信仰の成長の恵みが与えられ、かの日にはいのちの冠が与えられる。