2004年05月28日(金)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し・・御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ4:10)



 この世の価値観では、良い子だと受け入れられる。親は良い子であって欲しいと願い、子供も親を喜ばせるために良い子であろうと頑張る。しかし、心の奥では決して良い子でない事を自分が一番知っている。行動の動機は決して純粋ではなく自己中心、自分の欲望である事も知っている。良い子でなければ受け入れてもらえないと絶えず恐れがある。それで、神の愛に関しても同じように思ってしまうのだ。良い子なら愛され、うまくやれなければ愛を失うと。いつも恐れがあり不安なのだ。しかし、私たちが愛されたのは、愛されるに値するからではない。まず神がはじめに一方的に愛して下さったのだ。あなたの状態で、神の愛は決して変わらない。
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自分の内に少しでも良いものがあるから愛して下さっているのではない。私が私であるだけで、ただ惜しみなく変わりなく、今日も明日も愛し続けてくださる。霊の目を凝らしてこの神様のご愛をさらに知って行く者でありたい。