2004年11月26日(金)

「わが父よ。どうしても飲まずに済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」(マタイ26:42)



主イエスは十字架にかかられる前に祈られた。その祈りは最初は「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」だった。しかし、わたしの願ではなく、みこころの通りにと祈られた。祈りが変わって行き、飲まずに済まされぬのでしたら御旨のとおりにと。十字架を負うとは、自分の願を捨てて神のみこころに従う事だ。主が父のみこころに従って行かれたように。自分の思い通りにならない状況を受け入れる事だ。自分を捨て。日々自分の十字架を負いわたしについて来なさいと言われたように、それは日々の事だ。日ごとに自分の思いを捨て、みこころを行ない、自分の思いとは違う状況を受け入れ続ける事。そこに真の平安を見い出す。
-----------------------
みこころの通りに…と祈る時、聖霊様によって自分のかたくなな思いが変えられて行く。日々の祈りの終わりに、「しかし主よ、どうぞみこころのとおりに…」を付け加えよう。砕かれて行く。