2005年04月27日(水)

「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか」(マタイ5:46)

ある有能な女性が職場でチーフに抜てきされ
た。このことは男性達には面白くなく、又、年
配の女性達にも妬みを受けた。辛く当たられ、
批判や悪口が飛び交った。ひどく傷ついて、
自分を守るのに必死だった。通勤が辛く、通
勤の度に腹痛が来た。心身ともに消耗し倒れ
そうで、神に助けを求めて祈った。祈りの中で、
主の愛を覚え、溢れる愛を受けている自分の
なすべき事がわかった。主に今一度心を大き
く開いて明け渡し、主の愛の通りよき管とされ
るよう祈った。主の助けにより、どんな時にも
親切をもって対応し続けた。すると、周囲の態
度が変って来た。職場に和やかな空気が流れ
始め、和気あいあいとなった。神が働かれた。
受け入れられ、愛されていると感じる時、人は
変わる。愛は神から出る。
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愛が無く、敵対して来る者を愛せ「ない」が、
愛の無い自分を認め、通りよき管として自分
を明け渡す事が「できる」。状況が暗けば暗
いほど、神の光が輝く。