2006年11月25日(土)

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」ローマ4:3

ヨセフの物語を通して、私達は多く
の事を教えられる。兄達の妬みによ
り、隊商に売り渡され、苦難の歩み
が始まる。どんなに恐ろしく不安で、
心も先行きも真っ暗な事だったろう。
しかし、エジプトの地で、主人の愛
顧を得て側近にされた。ところが、
全くの無実の罪で牢獄へ。牢獄で夢
の解き明かしをし、その通りになっ
た献酌官長は元の地位へ。チャンス
到来。ヨセフは今こそが「時」であり、
とうとう釈放と思ったろう。しかし、
約束はきれいに忘れ去られ、尚も2
年!の歳月が流れた。何という試みで
あり忍耐だろう。神の計画と人の思
いは何と異なる事か。2年、神の時
を待った。ヨセフを練り、鍛え、聖
めるための厳しい訓練の時であった。
私達も「待つ」時が与えられる。事
が動きそうで、一歩も、全く動かな
い。じっと神を待つ時だ。やがて、
釈放の時が来る。失望と暗闇に放っ
ておかれない。神は練られた品性を
培っておられる。今が忍耐の時なら
じっと神を信じていよう。必ず神の
「時」が来る。           
・・・・・・・・・
「待つ」事は難しい。本当に大丈夫
なのか?サタンの火矢が飛び交う。
信仰が試される。しかし、その中で
自分の本音もあらわになり、自分の
姿を知り、神に向き合う時とされる。
「信仰」を使う時とされる。