2007年02月24日(土)

「彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした」使徒7:23

モーセはエジプトの最高の教育を受け、
武道にも長け、有能であり、エジプトで
の地位、影響力、人脈を持ち、自分こそ
がイスラエルを救える者との自負があっ
た。しかし、当の同胞から拒否されたの
だ。虐げられた同胞をかばい、エジプト
人を殺してしまった。翌日、それが知れ
た事を知り、恐れて逃げた。パロも怒り、
殺そうと捜し、逃亡の身となった。ミデ
ヤンの地に逃げ、そこで羊飼いとして生
活する事になる。華やかな脚光を浴びた
成功人生から、突然の転落だ。何も無い
荒野で、何の肩書きも地位もない一介の
羊飼いだ。遊牧民として40年を送る事
になる。神はモーセを出エジプトの指導
者とするために、この40年をこそ必要
とされた。ここでモーセは砕かれ、へり
くだらされ、ふさわしい器と整えられて
行った。私達にもこの荒野が備えられて
いる。人生に必ずこの荒野があり、避け
たいが避けて通れない。モーセがミデヤ
ンに来た時は、人生終わったと思った事
だろう。しかし、実は 神の手の中で、
神のために間に合う器に練られていた。
荒野は、神の愛の御手の内だ。
・・・・・・・・・
40年の何も無い荒野で、モーセは最高
の教育を受けた。いっぱしだと思ってい
た者が、砕かれ、へりくだらされた。私
達も荒野を通して、高ぶった者が間に合
う器に、柔和で謙遜な者へと変えられる。
荒野で状況でなく神様を見ていよう。