2007年05月28日(月)

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」イザヤ53:5

 

私達の心には数々の傷がある。人か
ら傷つけられた、忘れられない大き
な痛みがあり、その相手への恨みや
憎しみがある。赦せないのだ。それ
は怨念となり、感情的なしこりとな
り、引きずってしまう。救われては
いるが、人を赦せない事に対して、
恨みつらみに対して、それでまた自
分を責めるので、苦しみが二重にな
ってしまう。又、自分には全然傷な
ど無いと言う人もいるが、ふたをし
ているだけで、見ようと、感じよう
としないだけで、実は様々な傷が心
にはある。その傷に触れる状況に遭
遇すると、自分でも心が平静でおれ
なる。突然、反応してしまうものだ。
心がざらついたり、イラついたり、
ムッとしたり、怒りが出て来たり、
不安になったり、だ。主はその傷を
癒すために来て下さり、十字架の打
ち傷によってその傷を癒して下さっ
た。そのために、自分と向き合い、
正直になる事だ。それを認めるなら、
余りにも惨めでプライドが傷つくの
で、傷ついていない振りをする。大
丈夫な振りをし、ふたをしてしまう。
いつまでもその傷はそのままで、事
あるごとにうずく。傷を認識し、自
分が傷ついている事を認める事だ。
そして、それをすべて主にもって行
くのだ。傷は十字架で癒されていて、
すでに新しくされている事実を実感
する。真の平安を味わう。
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自分は何も悪いことはしていないの
にと、悶々とくすぶる、うずきがな
いだろうか。確かに傷ついているの
だ。主に持って行こう。誰一人理解
してくれなくても、主は知っていて
下さる。主がすでに耐えて忍んで下
さった打ち傷で、癒される。