2007年06月27日(水)

「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです」ルカ5:10

ペテロは人をとる漁師として召された。
その状況を、逆にたどってみると、そ
れは自らの無力を味わい知った時だった。
腕に自信のあるプロの漁師が「夜通し働
いたが、何一つとれなかった」という、
挫折と失望落胆、疲労こんぱいの中だっ
た。主は、「網をおろして魚をとりなさ
い」と、もう一度全く同じことをするよ
うに告げられた。夜の間中捕ったが捕れ
ない、朝に魚などいないとの常識があっ
たが、それを置いて、主の言葉に従い、
網をおろした。その結果、奇跡の大きな
わざを見た。今までもずっと主を見てい
たが、新しく主を知ったのだ。聖い畏れ
に満たされて、その時、ペテロは「私は、
罪深い人間」と主の足もとにひれ伏した。
主は、そんなペテロを赦し、受け入れて、
主の働きのために、伝道者として召し出
された。ペテロが聖い主の働きに召し出
されたのは、最も無力な、うちひしがれ
ている時だった。血気盛んな、意気揚々
の時ではなかった。私達も、もうだめだ
と、肩を落とし落胆している時こそ、新
たに主に出会う恵みの時だ。だからこそ、
私達には、決して絶望は無い。無力の時
こそが、幸いな恵みの時なのだから。
・・・・・・・・・
ペテロが打ちひしがれて、自分はもうだ
めだ、私のような者から離れて欲しいと
言った時に、主はペテロを伝道者に召し
出された。最も無力な時だった。無力な
まま主を仰ごう。主の大きな恵みを経験
する。