2007年09月27日(木)

「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました」マタイ6:12



人を赦せなくて、苦しんだ経験があ
るだろうか。四六時中、牢獄の中に
いるようだ。その人が目の前にいて
もいなくても、心はその人に縛られ
て、がんじがらめだ。苦しいのは相
手ではなく、まさに自分自身なのだ。
自分自身のために、人を赦すことは
どうしても必要だ。でなければ、自
分自身を歪め、傷つけ、損なってし
まう。人を赦すことは、人生の主導
権を自分に取り返す事だ。なぜなら、
憎む相手に、自分自身と自分の全生
活を支配されてしまっている。繰り
返し、繰り返し憎む相手を思うので、
更にその思いを固める事になる。悪
循環そのものだ。その背後にサタン
がいて、サタンの思うつぼであり、
サタンにほんろうされてしまう。あ
なたが赦す事によって、サタンを拒
否し、相手があなたの人生に割り込
む事を拒否する事になる。そうした
くないだろうか。憎しみや赦さない
心からは何も生まれない。赦すこと
ができない事を、主にありのまま告
げて、主の助けを求めよう。赦しま
すとの意志を主に向けて行く事は大
切だ。赦せない自分を赦して下さっ
ている、主の十字架に目を向けよう。
十字架から赦しが流れ出ている。ま
ずあなたが赦されている事を、深く
受け取る時、必ず人を赦す事ができ
る。赦された人が、人を赦して行く。
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人の不満ばかりが気になるのはいつ
も他人に自分の人生を支配されてい
ることだ。赦す事は自分のためだ。
自分の罪深さに目を留め、十字架を
感謝し憎しみから解放されよう。