2007年10月28日(日)

「その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています」ルカ6:48

二つの家は、外観全く同じようであっ
た。どちらも立派で、見た目は何の違
いも無かった。ところが、洪水が来た時
に、大きな違いが生じた。一方はびく
ともせず、一方は倒壊してしまった。平
生は表れる事もないが、試練の時に
その差がはっきりと出て来る。深く掘っ
て岩の土台に建てた家と、掘らずに地
面に建てた家の違いだ。岩の上に建
てるとは、示された御心に従って行くこ
とだ。それは自分にとって痛い御言葉
かも知れない。しばしば心が刺し貫か
れるし、従う時に犠牲も伴う。自分を
砕かなければ従えない。当時は器機
もなく地面を深く掘るのは大変な事だっ
たろう。砂の上に建てるのは楽だ。
それは自分に痛い都合の悪い御言葉
は退け、都合の良い言葉だけを取り、
自分のプランの上に人生を建てて行く。
砕かれる事がないままだ。誰の人生に
も必ず試練は来る。その時に、ただ心
地よさを求めて来た信仰では立ち行
けない。自分がどうのでなく、神が神
であられるから従って行く信仰は、どん
な試練にも倒れない。普段は信仰生
活、別に見た目に何の違いもない。し
かし、試練が来た時に、砂の上なら倒
壊してしまう。私たちの土台はどうだろ
う。主を信じているので、溢れる感謝
の中で、痛い御言葉にも従って行ける。
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都合の良い言葉だけに従うこともできる。
しかし、信仰生活の中でとにかく逃げない
で、御言葉と向き合った時、更に大きな喜
びと深い平安を経験して来た。