2007年11月27日(火)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」ヤコブ1:2



私達は、個人的年間計画を作る。
1年間の月々の予定を書き込む。
しかし、そこに「試練」の予定は
入っていない。試練は必ず臨むの
に、頭にはまるで無いかのようだ。
祈る時はどうだろう。試練を祈り
求める必要はないが、だいたいに
おいて「守り」「祝福」「助け」
に終始する。しかし、自らの成長
の事を考えると、肯定的なもの、
順境だけなら、人間は弱いので神
から離れてしまう。順境の時は、
人は神を求めない。人間には頑な
な罪の性質があり、甘いものでは
ない。「おのおの、自分かってな
道に向かって行」きがちだ。逆境
は苦しく、辛いが、人はそこでこ
そ成長する。一番神に近かったの
はいつだろう。試練の時ではなか
ったか。私達は良きものを与えて
下さいと祈る。私達は、良いもの
とは必ず順境を想像しているが、
神にとっては逆境が、その時の良
いものかも知れない。いずれにせ
よ、その時々に、神から来たもの
は順境であれ、逆境であれ良いも
のだ。しばしば試練は良いものと
は決して思えない。どちらであれ、
「感謝して受け取ることができる
ようにして下さい」が祈りとされ
たい。結果的に、私達を更に神に
近づけるものが、良いものなのだ
から。ネガティブな事は悪との私
達の価値観が問題であり、改める
必要があるかも知れない。
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病にあれば一歩一歩の歩みに神様
を頼り、人間関係で悩む時には口
から出す一言一言が祈り心だ。そ
して御手に導かれて過ごせた事を
心から感謝する。振り返ると一番
神様の近くにいる時だ。