2007年12月28日(金)

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」ヨハネ3:27

ヨハネの弟子達が、ユダヤ人と
きよめについて議論した。その
時、ヨハネの弟子達は痛い所を
突かれた。皆が主イエスの方へ
行く。党派心や妬み心があった
ようだ。主イエスが人々に好か
れ、人気を博する事に、自分達
の師と比較していら立ち嫉妬し
ていた。人との比較は、必ず劣
等感と優越感を生み出し、その
間を行ったり来たりする。優越
感があるという事は、底に劣等
感がある事であり、又、劣等感
があるから、優越感に浸りたい。
それらは表裏一体だ。高慢から
来ている。議論をして、彼らは、
イラ立った気持ちをそのまま師
のヨハネに持って行った。「み
な、あの方の方へ行く」と、ま
るでヨハネを責め、師をあおる
かのようだ。ヨハネの方が更に
嫉妬心が生じるかも知れないの
に、しかし、ヨハネは心底へり
くだっていた。「人は天から与
えられるのでなければ、何も受
けることはできない」と。へり
くだっている人を、人もサタン
もどうにも出来ない。成功も、
栄誉も、人気もすべては神から
来る。その事を真に認める時、
嫉妬や、競争、劣等感から解放
される。賜物が違い、使命が違
い、用いられ方が違い、一人一
人が皆違う。違うのだから比較
のしようがない。すべての主権
者は神だ。神から来るものを受
ける時に真の満足と平安がある。
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人との比較の中にいる時は、人
の幸せを素直に喜べず恵みを分
かちあう事も出来ない。それは
本当に苦く悲しい。すべては神
様から来る。ただ神様に向かう
時にだけ私達は優劣から解放さ
れて一つになれる。