2008年04月25日(金) 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人の上に現れるためです」ヨハネ9:3
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人の上に現れるためです」ヨハネ9:3
この盲目の男性の原因探し、犯 人探しをした弟子達は、私たちの姿か も知れない。何か悪い事が起こると 「何でだろう?」と考えるものだ。盲 目=不幸と考えているので「なぜ か?」と主に問うた。古い価値観の中 に、悪い事、不幸な事と罰が重なって いる。因果応報、何かのバチだと考え る。しかし、主の見方は人間の見方と は違った。確かに困難な境遇ではある が、そこに神の目的と計画があるとさ れた。苦しい境遇、不幸な状況は、私 たちには到底プラスの事とは思えない。 しかし、主は彼が盲目に生まれた時に、 すでに彼を癒すことを計画されていた。 時々、余りの悩みに、状況もこんがら がって、まるで刺繍の裏のように、糸 がぐちゃぐちゃに重なり、無秩序、混 乱にしか見えない事がある。しかし、 神の目から見るなら、計画と目的と秩 序があり、刺繍の表側は素晴らしく綺 麗な絵が描かれている。私たちの側か らは、刺繍の裏しか見えないので、時 にぐちゃぐちゃだ。しかし、神の御心 が着々と進められている。どう見ても 神のご計画などに見えない事態が、後 にパズルがつながるようにして、神の みわざを拝する。人生無駄な事は一つ もなく、すべてに神の意図とご計画が あるとは、何と感謝な事だろう。「行 く所どこにおいても、主を認めよ」主 は道をまっすぐにして導いて下さる。 今、目の前の事態に主を認めよう。 --------------------- 思い通りに行かず、自分で何も出来な いからこそ必死に神様を信じ、必ず困 難の中で神様が益として下さるとの約 束に立っておられる。順境の中では一 生、知ることのない神様を知って行け る。