2008年05月28日(水)

「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというのであなたはここまで私を導いてくださったのですか」Uサムエル7:18

ダビデは、自分が杉材の家に住んでい
るのに、神の箱は天幕の中にある事を
思い、神の家を建てようと志す。しか
し、神はナタンにその事は御心ではな
いと告げられた。だが、それにまさる
壮大なる約束が与えられた。あなたの
家とあなたの王国はとこしえまでも堅
く立つと。そして、あなたの身から出
る世継ぎの子が王国を確立させると。
そして、彼が神の家を建てると。ダビ
デの思いを遙かに越えた神の大いなる
祝福に、その約束に、心からの感謝の
祈りを献げた。私たちもこの思いは同
様ではないだろうか。いったい何者で
あり、何であるからというので、ここ
まで私を導いて下さったのだろう。あ
の危機、あの罪、あの過失、この失
敗・・今あるのは、神のあわれみ以外の
何ものでもない。ダビデの生涯には汚
点があり、重大な罪を犯した。しかし、
サウルは退けられたのに、ダビデの家
は大いなるとこしえの祝福が与えられ
た。どこが違うのか。ダビデはへりく
だった。罪は犯したが、神の御前に罪
を認め、悔い改めた。そこが一番の鍵
だ。罪を認め悔い改めることが、へり
くだることであり、責任を取ることだ。
そんなダビデは大いに祝福された。罪
を隠さず、言い逃れせず、自分を正当
化せず、真正面から認めよう。罪しか
提供できないような者に悔い改めが与
えられているのは何と恵みだろう。
「罪の増し加わるところには、恵みも
満ち溢れ」そして罪の内を歩み続ける
事ができないようにされているとは。
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様々な挫折、失敗、回り道を一つ一つ
益とし、今まで導いて下さった主のあ
われみは測り知れず、言葉に尽くせな
い。その一つ一つに恵みは満ち溢れ、
感謝を見る事ができるとは何と驚くべ
き事で、へりくだらされる事だろう。