2008年09月27日(土)

『「子どもたちよ。食べる物がありませんね」彼らは答えた「はい、ありません」』ヨハネ21:5

「自分が変えられるためには、自分の
本当の姿を直視する必要がある」とは、
よく言われている事だ。主を裏切って
しまったペテロ、主が捕らえられた時
に逃げてしまった弟子達、彼らはガリ
ヤラに戻った。が、ペテロは、なすす
べなく漁に出ると言うと、他の弟子達
も従った。ベテラン漁師であるはずの
ペテロ達だが、何もとれなかった。夜
が明ける頃、主が岸辺に立たれ「食べ
る物がありませんね」と言われた。彼
らにとれば、岸で見知らぬ人が言って
いる言葉だ。「何もとれないのか」と。
彼らは答えた「はい、ありません」。
何一つ無い、ありのままを認めた。そ
の時、舟の右側に網をおろしなさい。
そうすれば、とれます」との言葉が臨
み、その通りに従った時に、大漁を見
た。私達も、主のみわざを見る前に、
ありのままの姿を認めさせられる。
「何もありません」、惨めであわれで、
プライドは砕かれ傷つき、ぼろぼろか
も知れない。しかし、その惨めな自分
を認める事が、大きな祝福の始まりだ。
惨めな自分は見たくない、触れたくな
い、直視したくない、ごまかしてしま
いたい。しかし、何も無い自分を認め
るからこそ、その後の神の大きな祝福
を自分の栄光にする事はない。神に栄
光を帰して行く者とされる。「はい、
ありません」と自らの真の状態を恐れ
ずに認めよう。そこから大いなる主の
みわざが始まる。
・・・・・・・・・
「はい、ありません」は一番見たくな
い、決して認めたくない、痛い言葉だ。
プライドゆえに認められない。しかし、
そこで初めて真に神に出会う。そここ
そが実は大きな恵みの場所である事を
経験する。