2009年01月27日(火)

「ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた」マルコ4:38



信仰生活で、少し風が吹き波立つと、行く手を阻まれると、「何で?何で?」と、驚き怪しむ。

「みこころで従ったのに、やっぱりみこころでは無かったのか?」「みこころを間違ったのか?」「あの事、この事が悪かったのか?」「隠しているあの事の罰か」と恐れと不安に襲われる。

何の問題も無く、人生スムーズに行く事が幸せで、祝福されているとの価値観が無いだろうか。不幸な事、問題、悩み=悪、あってはいけない事、忌むべき、避けるべきものとの考えだ。

そして、御心に従ったからには、守られるはず、何もかもがスムーズに行くはずと思っている。だから、御心に従って、試練が臨むと、理屈に合わないのでパニックになる。

しかし、そうではない。御心に従って、次から次へと試練が臨む。次々とテストが来る。
乗り越えさせて信仰を強めて下さるためだ。

この時も、主と共に舟に乗り込んだら、つまり御心に従ったら、激しい突風で舟は波をかぶり水浸しだ。今にも転覆しそうだ。

弟子たちにすれば大変な恐怖だ。驚き慌て、パニックで右往左往だ。しかし、主が舟におられる。そして主は「向こう岸へ渡ろう」とはっきり言われた。

言われたからには、途中に何があろうと渡れる。状況でなく主を見て、御言葉を見て、信じよう。その時、舟は大波に大揺れしても、心は揺れずに平安に守られる。
主が平安でおられたように。
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状況が良ければ御心のまん中を歩んでいるように見え逆なら落ち込む。どのような状況の中にもしっかりと主を見つめ、御言葉をにぎり、向こう岸に渡ろう。