2009年07月02日(木)

「主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた」イザヤ61:1

人は皆、罪人であり、不完全だ。自分中心なため、自分が一番可愛いので、自分もどうしても人を傷つけてしまうが、自分自身もまた、人から様々傷を受けて、現在に至っている。

周囲から受けた傷が心にあり、それが、御言葉を神の言葉として、素直に受け取る事を妨げている事がある。御言葉が信じられないのだ。自分では信じている「つもり」だが、心の奥で愛が信じられない。

信じて大丈夫なのか、裏切られるのではないかと恐れている。傷があるからだ。御言葉を信じようとしないから、頭ではわかるが、いまいちわからない状態だ。しかし、自分では認識していなくて、御言葉を信じているはずと思っている。

何か心の底に押しこめて、ふたをしているものがあるなら、主はその傷を癒すために来て下さった。癒されるためには、自分で「私には〜〜の傷があります」と認める事が大切だ。

光の中に出され、祈りに出されるなら、その傷は癒される。
どんな傷であろうと、主は癒して下さる。苦しみ、悲しみ、痛み、どんな感情も押し殺さず、抑え込まず、そのまま主のもとに、何もかも持って行って良いのだ。

とにかくそのままの気持ちを主のもとに持って行くことだ。自分が自分の感情を知り、それを主が受け取って下さり、主から赦しや癒しを得る。
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主が癒すと言われる言葉を、素直に受け取れないのは悲しい。信仰の前進を妨げているものはなんだろう。不安や傷をしっかり見つめて主に持っていこう。補って余りある慰めと祝福が主から来る。