2010年03月01日(月)

「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です」詩編71:5



あなたには信頼できる相手がいるだろうか。例えば、友人と待ち合わせをして、時間になっても来ない場合どうだろう。あなたの心はどう動くだろう。急用か、やむを得ない事情が生じたと、思わないだろうか。

自分を裏切っただの、愛されてないだの、見捨てられたなどと思うだろうか。決してネガティブに動かない。なぜか。そこに信頼関係があるからだ。又、友人が失敗したらどうだろう。頭ごなしに責めるだろうか。そこに何らかの事情があったはずと思い、まず聞こうとするのではないか。

友人を信頼しているゆえに。又、相手も信頼ゆえに、心を打ち広げ、弱さを隠すことなく話すことができる。信頼関係がある時、そこに安らぎがある。安心して語らいを楽しむ。主を信じる者も同様だ。

罪の暗闇の世界から、御子の支配下に移され、罪赦され、主の愛に囲まれている。主のゆえに御父との関係が正され、平和を持っている。主との間に、根底に愛されている安心感がある。

主と私たちの間は、信頼関係で結ばれている。そこには平安と安堵と喜びがある。何があろうと、どんな時も、信仰的に、前向きに、肯定的に捕らえる。それが信頼だ。どんな状況でも、主は愛していて下さる。ご計画がある。益とされる、そこに立って、絶対に動かないでいよう。
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罪人である人間同士でも信頼の絆が保てるなら、主への信頼が何故が揺らぐのか。私達は自分が信じてきた方をよく知っているはず。今、待たされている状況があっても、必ず益となる答えを見る。