2011年03月01日(火)

「主の使いは彼に言った。『・・敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ・・』」民数記22:32


私たちは、痛い目に会う事、苦しみ、悩みは回避したい。苦しい目には会いたくない。又、問題が起きると、順調な歩みが阻止されてしまう。阻まれて、先に進めなくなってしまう。苦しみや悩みが、好きな人など誰もいない。痛くて辛い事態を、避けて通りたいと思う。何とか逃れたい。

しかし、神は、私たちを間違った方向へ進ませないために、行く手に障害物を置かれて、阻止される。私たちを立ち止まらせるためだ。不運だったのではなく、たまたまそうなったのではなく、まさに神の取り扱いだ。神がそうされた。偶然ではない、又、そこに関わっている相手を責めるのではなく、そこに神の取り扱いを認めることだ。

その状況の中で、神のメッセージを受け取ろう。何を教え、何に気づかせたいのか。今、あなたの行く手が阻まれているなら、状況を見るのでなく、まずそこに神を認めよう。神が立ちはだかっておられる。その道は御心に反しているのかも知れない。

神はバラムに「彼らと一緒に行ってはならない。その民を呪ってもいけない。祝福されているからだ」と言われたに関わらず、出て行った時に、主の使いが立ちはだかった。目の前の状況に神を認め、自分の思いでなく、神の御心を尋ね求めよう。必ず正しい祝福の道に導いて下さる。
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行ってはいけないと言われても自分の思いが勝り目がふさがれて進む時に神様が立ちはだかって気づかせて下さる。感謝だ。順調に行かない状況なら目がさえぎられていないか立ち止りよく祈ってみよう。