2011年10月01日(土)

「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかな う教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており・・」Tテモテ6 :3   

                   
私たちは自分の高慢には気づかない。高慢とは、神の言葉に同意しない事だと言
っている。神の言葉を素直に聞かず、「でも・・」「でも・・」と言う。「・・でも、
自分はそう思わない」「・・でも、状況はそんなふうに見えない」「・・でも、不可
能」と受け入れない。「私はこう思う」と、自分の思いの方を取る。

「あなたは高価で尊い」と言われると「自分が嫌いで、そんな言葉、別世界に感
じる」と心の底では信じない。信じようともしない。頭をすり抜けて行く。「何
も思い煩わないで」と言われるが、同意せず、拒み、「そうは言っても・・」と思
い煩いをストップさせずに、心配を続ける。

御言葉を自分の都合の良いように聞く。その結果「その人は・・何一つ悟らず、疑
いをかけたり、ことばの争いをする病気にかかっている」と。「そこから、妬み、
争い、そしり、悪意の疑りが生じ」、肉の実を結んで行く。自分の都合良い御言
葉だけを、受け入れていないだろうか。

ある人が、いつも牧師に助言を求めるが、同じ失敗を繰り返していた。その人は
「はい、わかりました」と口では言うが、必ず御言葉でなく、自分の考えに従っ
て行った。口では同意するが、実際は自分の思い通りに行動する。そして、同じ
失敗を繰り返していた。実は自分の根本には、御言葉でなく、自分の考えが厳然
とあったと気づかされた。

都合の良い言葉だけを聞き、都合の悪い言葉を捨てるなら、高慢になっていると
神は言われる。頭では聞くが、それはそれで、実際は自分の思いで行動していな
いだろうか。御言葉に従う時、大きな祝福を経験する。

・・・・・・・・・・・・・
それはそれ、これはこれ、で、御言葉を聞いていないだろうか。建前と本音があ
り、実生活にリンクしない。実は「でも・・」が出ている事に気づきが与えられて、
素直に御言葉を聞き、従って行けるよう祈ろう。主のご愛や助けを実際に経験す
る。