2012年05月01日(火)

「しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」Uコリント12:5 


パウロは強さではなく、弱さを誇った。み言葉の言う弱さとは、自分の限界を知り、認めているということだ。しかし、この世の言う弱さは違う。神無しのこの世界では、人は皆、比較の中で生きている。神と自分の関係性が無いので、横の人との比較で、人との差異でしか、自分を量りようがない。そのため比較の世界から逃れられない。常に比較していて、人より仕事が、勉強が、運動ができない、対人関係がうまくできない、そこから劣等感に落ち込んで行く。

劣等感があるので、優越感に浸りたい。高慢を根に、劣等感と優越感の間をグルグル回る虚しい人生になってしまう。そこから自由にして下さる。この世は、弱さは悪という価値観であり、そのような古い価値観の影響を受けると、できない自分、だめな自分、人の持つ幸せを持たない自分、人より劣る自分は敗北者であり、惨めであり、マイナスのものでしかない。

それゆえ、弱さは知られたくないものであり、どこまでも隠して生きる。競争なら、弱さを見せると負けだ。しかし、御霊の世界は真逆だ。弱さこそが恵みであり、神の力は弱さのうちに完全に現わされる。神の愛や、力や、恵み、神の支えや、助け、それらを弱さの中で初めて経験する。身をもって知れる。弱さを認めることが大切だ。パウロは自らの弱さを認め、受け入れた。今、必要な事は自らの弱さを認めることだろうか。
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いつでも神様助けて!と叫べることが感謝だ。自分の限界を知り無力を受け入れ明け渡せたなら結果はいつも神様の栄光。優劣を気にしている自分自身から解放されパウロのように弱さだけを誇りたい。