2013年07月01日(月)

「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:3


広大な砂漠の中に、川がある。その川のそばには緑の木々が生えている、かんかん照りの中で、厳しい砂漠の中で、しかし、水路のそばの木々は青々と葉を茂らせている。「水路のそばに植わった木」は、どんなに厳しい試練の嵐の中でも、その葉は決して枯れない。なぜなら「水路のそば」に植わっているからだ。水路から絶えず水分が回り、葉を瑞々しく茂らせて行く。その葉は枯れることがない。

木の問題でなく、どこに植わっているかの問題だ。私達も水路のそばに植えられた木だ。常に豊かないのちが、主から溢れ流れて来る。御言葉に根ざして、御言葉を喜びとし、絶えず口ずさむ。そこから力と喜びが来て、それによって瑞々しく生かされて行く。「その人は、何をしても栄える」、「栄える」というのは、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全といった御利益ではない。何でも自分の思い通りになり、利得となる人生ではなく、御言葉を喜びとする人の願いは、神の栄光を求める。

神によってきよめられて行き、神のみこころにかなった願いを願う。それゆえ叶えられる。人生に、肉の欲望でなく、神の御心を求めて行くから、祝福されて行く。結局、人生の土台を何にするかだ。主のおしえか、自分のはかりごとか。主の教えを喜び、主に頼るのか、自分の力に頼るのかだ。 
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根っこを主にしっかりと支えられ、主から与えられる養分を豊かに吸い上げて緑豊かな人生を歩んで行こう。思い通りに歩む道はとても快適に見えて来るが、根が肉に植わっていれば、いつも渇く。