2015年05月01日(金)

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」箴言27:17




ある人が、主に在る友に忠告するように御霊から示された。しかし、
その事は、相手の一番触れられたくない事であり、言うなら相手は
怒り、喧嘩になるだろうと予想できた。心重い中、祈りを幾ら重ね
ても、御霊の示しは変わらない。ずっと促され、自分も従わなけれ
ば平安が無い。決心して祈りに祈り、示されるまま忠告した。

思った通り、相手は激怒で、別れた。しかし、その相手は帰宅し、
冷静になると、やはり友の言葉をよくよく考えた。素直にその通り
だと思えた。自分の痛い所を突かれ、感情的になってしまったが、
言えば相手に嫌われる事がわかっていて、あえて忠告してくれた友
の愛情を思った。電話し、謝り、言ってくれた事に感謝した。

ある人は、仕事で、良いアイデアが浮かび、練り、仕上げて、まず
親しい友に話してみた。すると、こてんぱんに批評され、非常に厳
しい評価だった。一生懸命に考え、時間をかけ仕上げた内容であり
怒りが湧いた。しかしその理由を丁寧に説明してくれ、自分が全く
気づいていなかった側面を指摘され、自分の足らない部分が明らか
にされた。

友のその分野における豊かな経験と積み重ねた知識により、助けら
れた。厳しい指摘だが、受け止める時、自分が高められる。研磨さ
れる。又、自分が忠告するように示されたなら、従えるよう祈ろう。
祝福のために用いられる。
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互いの間に主がおられ整えてくださることを信じ、よく祈り示され
たなら従おう。また痛いことを言ってくれる信仰の友はありがたい。
主を通して語られる言葉には祈りが積まれている。