2015年10月01日(木)

「わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります」詩編40:8


私たちは、何を喜びであり、幸せだと思うだろうか。自分の願望が
叶えられ、自分の思い通りになるなら、幸せだと思うのではないだ
ろうか。欲望が満たされる事が心地よく、幸せだ。これは肉の価値
観であり、主を知る以前はこの価値観で生きて来た。心満たされた
いがために、自らの願望を遂げようとする。

仕事、趣味、名誉、地位、愛する人・・次々と求めて行く。しかし
手にした時に、一瞬の快楽はあるが、真に満たされる事は無く、心
虚しく更に渇くばかりだ。「この水を飲む者はだれでも、また渇く」
とあり、欲望が叶っても、心が満ちる事はない。井戸ばたのサマリ
ヤの女性は、5回の結婚と5回の離婚を重ね、現在同棲していた。

彼女は男性が自分の心を満たしてくれ、自分を幸せにしてくれると
信じていた。だから結婚がうまく行かないと、この相手だからうま
く行かず、別の人ならと、5回も繰り返した。しかし、決して満た
される事はなかった。今も多くの人が欲望が満たされる事が幸せ、
人生の目的だと思っている。しかしそこに満たしは無い。

真の幸せと満足は、自分の欲望を満たす事でなく、神ご自身にあり、
神の御心を歩むところにある。御言葉に従って行く時にこそ、真の
喜びと満足がある。そして目の前の一つ一つの御心に従って行く時
に、自分が変えられ、主のかたちへと変えられて行く。真の喜びと
平安を経験して行く。
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目の前の欲望は次々に変わり、地位や名誉や健康は、いつか手放す
時が来る。いつまでも変わらない神の無限の愛が与えられ、導かれ
歩める人生は、なんと幸いなことだろう。