2015年12月01日(火) 「わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」創世記22:2
「わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」創世記22:2
イサクは、アブラハムが25年も待って与えられた約束の子だ。目 に入れても痛くない、心から愛してやまない息子だ。祈りに祈って、 待ちに待って忍耐の末にやっと与えられた事を思う時、どんなに大 事な宝であったろう。アブラハムの命だったろう。そんな時、主か ら、そのイサクを、全焼のいけにえとして献げるように言われた。 「神はアブラハムを試練に会わせられた」とはっきりあるように、 彼にとっての厳しい「試練」であった。「あなたの子、あなたの愛 しているひとり子、イサク」と、アブラハムにとってどんなに大切 であり、かけがえの無いものかをご存じだった。なぜなら、最愛の 我が子であると同時に、神から与えられた約束の子であり、アブラ ハムの祝福の何もかもがこの子にかかっていた。 それが断ち切られてしまうのだろうか。約束はどうなるのだろう。 このイサクにすべてが、かかっている。しかし、神はそのイサクを 全焼のいけにえにせよと言われる。彼の思いの詳細は記されていな いが、「翌朝早く」すぐに、従うべく出かけた。ヘブル書に「彼は、 神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えた」 とある。 イサクをよみがえらせて下さると信じ、彼は献げた。一大決心であ り、自分自身を献げる事であった。あなたのイサクはどうだろう。 心の中にいる一番大事なイサクは何だろう。「イサクをわたしに献 げなさい」と言っておられるだろうか。 --------------- 今まで大切にしていたものや、今までの生活習慣、価値観を神を信 じ献げていけるかと日々試される。主の山に備えがあると、献げた 後の栄光を信じ、従うべく出かけよう。