2016年05月01日(日)

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくだ さる」詩編37:5


ある人が、対人関係で、非常に傷つく事態が起きた。相手が赦せず、
思い起こす度に、怒りが湧いた。自分はクリスチャン、赦さねばな
らないと思うのだが、心は裁きと憎しみが渦巻いた。しかしとがめ
があり、何とか赦そうとし、赦そう、赦そうと頑張るのだが、どう
にもならなかった。

「赦しなさい」との数々の御言葉もわかっているのに、思い出すと
腹が立ち、そして、今度はできない自分を責め、自己嫌悪に陥り、
惨めになった。「赦せますように」と祈っているが、赦すことがで
きない。段々、「何で、あの相手のために、自分がこんなにも苦し
まなければならないのか」と、別の怒りまで湧いて来る。

楽しい時も、その思いがよぎった途端、重苦しい気持ちになる。こ
んな毎日は嫌だと、主の御前に出て、「どうしてこんな事になって
いるのですか!」と自らの怒り、相手への恨み、自分の惨めさ、辛
さ、平安の無さ・・心の底を延々、ハンナのように主にぶちまけた。

すると不思議に、心がすう〜っと落ち着き、主に受け止められてい
るという、暖かい感覚が来た。主を感じた。そして祈っていると、
祈りは祈り、赦しは赦しと、別もので、自分の力でしようとしてい
た事に気づかされた。祈った端から自分が動き出していた。

主にそんな自分を明け渡す事ができた時、初めて心に安堵が来て、
主が成し遂げられると信じることができた。

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祈って、御心を行なおうとするのだが、自分の力でしようとしいて、
なかなか気づかない。祈っているだけに気づかない。しかし、壁に
ぶち当たり、気づかせられる。幾ら頑張っても出来ないところを通
らせられる。そして明け渡しへと導かれる。