2016年08月01日(月)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは 大きな報いをもたらすものなのです・・約束のものを手に入れるため に必要なのは忍耐です」ヘブル10:35


アブラハムが75歳の時、神の示しに従い、カランを出てカナンの
地に移り住んだ。しかし子が無く、エリエゼルを相続人にと考えて
いた。その時に神は、そうでなく、あなた自身から生まれ出る者が、
跡継ぎとなるとはっきり言われた。満天の星を見せられ、子孫はこ
のようになると。アブラハムは信じた。神はその信仰を彼の義と認
められた。

しかし約束は受けたのだが、ずっと子供は生まれず、妻サラの提案
により、女奴隷ハガルによりイシマエルを得た。86歳であった。
だが、それは肉による事であった。自分の思いで行なった事だった。
その後も、約束はあっても状況は何一つ動かない、何も見えない歳
月が続いた。厳しい忍耐の時であった。

それから13年後、99歳の時に、主が彼に再び現われ、子孫を与える
と語られた。そして100歳になって、とうとう約束の子イサクを得
た。アブラハムは常識的にはもう不可能だった中で、見えるところ
でなく、神ご自身を信じた。望みえない時に望みを抱いて信じた。
目に見えたなら信仰は必要ない。見えないものを信じるから信仰だ。

それは状況を見るのでなく、約束して下さった神を見続ける信仰だ
った。アブラハムには数々の失敗があったが、信仰の父と言われ、
神はその「信仰」を喜ばれた。あなたも今、厳しい状況だろうか。
「胎の死んでいることを認めても」、尚も神の約束の言葉に立てる
よう祈ろう。神の約束は真実だ。約束は必ず成就する。

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サラは出産不可能だった。全く望み得ない状況だった。何のすべも
無く、自分の力で、どうにも出来ない時にこそ、御言葉にすがれる。
御言葉しかないからだ。主の力にすがるしか、何も無い。そんな時
こそが恵みの時で、上からの信仰が来る事を経験する。