2016年12月01日(木) 「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」Tコリント10:11
「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」Tコリント10:11
聖書の中には、信仰の偉人たちの失敗も、そのまま記されている。 世の一般書なら、都合悪い事実は隠すところだ。しかし赤裸々に書 かれている。アダムとエバは失敗して罪を選んだ。ノアは酔って失 敗し、アブラハムは自分の妻を妹だと嘘を言い、又、神の時を待て ずに、自分でハガルによりイシマエルを産み出してしまい、重大な 失敗をした。 イサクも父と同じように嘘をつき、ヤコブは父と兄をだました。モ ーセは40歳の時に人を殺して逃亡した。出エジプトの後には、怒り で岩を打つ罪を犯し、約束の地カナンに入れなかった。アロンは金 の子牛の偶像を作るという罪を犯した。ダビデは姦淫の上に殺人の 罪を重ね、ペテロも弟子たちも主を裏切って逃げてしまった。 主はそれらを失敗をことごとく悔い改めに導き、赦され、尚も愛は 変わらず、愛し続けられた。どんな失敗をしたとしても、決して見 捨てられる事はない。アブラハム、イサク、ヤコブは祝福され、モ ーセは出エジプトの大役を果たし、ダビデは詩篇を記し、ペテロは 諸教会のリーダーとして活躍した。 失敗した時は、問題の原因を考えてみよう。自分のどこに弱さがあ り、自分の何に触れているのか。プライド、虚栄心、貪欲・・、繰 り返す事から守られる。失敗から学ぶ事が大切だ。いたずらに落胆 せず、主の赦しを受け取ろう。主はあわれんで下さる。どんな時も、 もう一度やり直すことができる。 ------------ 失敗し祈りの中で罪を言い表すときほど主を近く感じることはない。 聖書の偉人たちは、いつまでも失意に留まらず前進せよと語りかけ てくれる。失敗から学ぼう。いつでもやり直せる。