2017年03月01日(水) 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」マタイ28:20
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」マタイ28:20
あなたも心配事があるだろうか。あの事、この事、明日の事、将来 の事・・不安が巡るだろうか。心配事に集中するなら、思いはその 事でいっぱいになってしまう。朝から晩まで気持ちは重苦しい。し かし目を転じて、御言葉に目を向けるなら、何と違って来るだろう。 行き詰まった時にはどうだろう。 エジプトを出たモーセとイスラエルの民を、パロの精鋭部隊と全戦 車が追いかけた。どんどん追いついて、目の前は紅海、背後は追っ 手、前進も後退も出来ない。絶体絶命の事態だ。しかし神は海を分 けて乾いた地を通らせられた。何という事だろう。道なき所に道を 造られる。目の前の苦しい状況に、必ず「逃れの道」がある。 荒野では、岩から水を出し、天からマナを降らせ、うずらを降らせ、 食物を与え続けられた。道中、昼は雲の柱、夜は火の柱で、ご臨在 をもって導かれた。約束の地カナンに入る際には、春先で雪解けの 水が溢れる、舟も橋もないヨルダン川を、神がせき止め、民を渡ら せられた。難攻不落の、そびえ立つエリコの城壁を、神が崩された。 神に不可能は一つもない。主が共におられる。主の同伴があるとは、 何と心強い保障だろう。問題が無い事が平安なのでなく、主が共に おられる事が平安なのだ。「何も思い煩うな」「わたしがあなたと 共にいる」と。共におられる主を仰ぎ、覚える時に、心は平安にさ れる。 --------- 問題が無いようにと思えば明日は思い煩いばかりだ。想定外の問題 が来たら、その中で主と共に心配して行けばよいと今をありのまま 感謝していきたい。乗り越える道も問題と共に来るのだから。