2017年12月01日(金)

「主よ・・私たちにも祈りを教えてください」ルカ11:1


祈りは、学校だと言われている。祈りとは信仰生活の中で、学んで
行くもので、最初からよく祈れるわけではないと。実践して行く中
で、実地訓練で教えられて行く。「求めよ。そうすれば与えられる」
とあるが、時に、なかなか与えられない事を経験する。

祈りには原則があり、御心にかなう祈りだけが答えられる。つまり、
御心でない祈りは幾ら祈っても答えられない。そのため御心にかな
う祈りを知るために、祈るわけだ。祈りの実践の中で、自らの祈り
が、主のお心に適うようにと軌道修正されて行く。主が祈りを導い
て下さる。求める動機が探られ、正されて行く。

目的が正され、核心に導かれ、御心にかなう祈りへと導かれて行く。
又、祈りの中で、自分自身の姿が見せられる。砕かれ、整えられて
行く。ある人がイベントの祈りで、あるアイデアが浮かんだ。良い
案であり御心を確信し、進めようとするが、ギクシャクして思うよ
うに行かない。皆の一致が得られない。

祈りで得た案であり、更に祈るが、事が進んで行かない。イラ立ち
の中で、祈っていた時に、自分の内側を照らされた。確かに主に示
された企画だが、意見を異にする人々に反発し、何が何でも押し進
めようとする。内に潜む頑なな「自我」に気づかされた。心から悔
い改め、自分自身も企画も主に明け渡した。

するとその後、不思議に、事が前に進みプロジェクトが組まれ実現
して行った。祈る時、答えと共に、私たち自身を造り変え、整え、
成長へと導いて下さる。
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自分の思いを告げるだけの祈りが、祈りの中で導き返される。主の
御心を求め、御心が成るようにと。主は常に最善のものを与えよう
としておられると祈りの中でいつも知らされる。