2018年07月01日(日) 「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでなさって、娘 の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにし てください」マルコ5:23
「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでなさって、娘 の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにし てください」マルコ5:23
会堂管理者であるヤイロの娘が、今にも死にかけていた。そのため ヤイロは必死で、主のもとへ来て、助けを求めた。主は、それに応 えてヤイロと一緒に出かけられた。その途上で、長血の女性が割り 込んで来た。娘は危篤であり、一刻を争う。それなのに妨害が入り、 ヤイロの心はどんなに焦り、急いた事だろう。 その女性が癒された時、使いが来て娘の死を告げた。もう主に来て 頂く必要はないと。ヤイロの心はどんなものであったろう。絶望が 襲おうとする瞬間に、間髪を入れず、主は御声をかけられた「恐れ ないで、ただ信じていなさい」と。別訳では「主はその話している 言葉を聞き流して」、「主はその言葉に注意を払わず、心に留め ず」となっている。 不信仰な言葉は、聞き流す必要がある。心に入れてはならない。信 仰の言葉である、御言葉を心に入れて、不信仰な言葉は拒否し、シ ャットアウトすることだ。不信仰の言葉を入れると、不安、恐れ、 疑心暗鬼に支配され、どんどんネガティブへと侵されて行ってしま う。心に握るのは「恐れないで、ただ信じていなさい」との主の言 葉だ。 家に着くと、人々は大泣きし、わめき取り乱していた。娘はすでに 死んでいた。目の前に突きつけられた現実であった。だが、主は 「死んだのではない、眠っている」と言われた。人々は嘲笑った。 主の言葉が理性、常識、見えるところに合わないからだ。しかしそ の言葉通りに娘は生き返った。どの言葉を受け入れ、どの言葉を聞 き流すか、心が守られるために、見分ける事が非常に重要だ。 ・・・・・・・・・・・・ 四六時中、心に言葉が行き交っている。不安、恐れ、思い煩いの肉 の言葉、サタンが吹き込む中傷やネガティブな言葉、心を見張って いなければ、流されてしまい、ほんろうされてしまう。聞くべきは 神の言葉であり、御言葉に立てるよう祈っていよう。