2019年03月01日(金)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」ヤコブ1:2



この世は、「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」「五穀豊穣」で
あり、信心はそのためであって、悪い事、負の事が無いためだ。こ
の世は都合良い事が善、不都合な事が悪だ。しかし主は、すべてが
感謝であり、善い事だと。一見、負の事柄も、私たちに良い事とし
て、訓練として与えて下さっている。私たちの益のため、成長のた
めと。

そして「ご自分の聖さにあずからせようとして」懲らしめると。だ
が、それを訓練として受け入れなければ、ただ辛く痛いだけで何も
学ぶ事がない。早く過ぎ去って欲しいばかりだ。又、逆に反抗し、
心を屈折させてしまう。何度痛い所を、試練を通っても、何も変わ
らない事があり得る。それなら同じ失敗を繰り返すばかりになる。

主のお心は、私たちが成長し、豊かな実を結んで行く事だ。私たち
をキリストのかたちへと変えて下さる事だ。ある人が、「今、試練
が次々に来ています。だが、自分はただしゃがみ込んで、頭をおお
っているだけです。通り過ぎて欲しい、逃れたいばかりです。

でもそうじゃなくて、この事を通して、私を霊的に成長させたい、
もっと主に近づけたいと思っておられるとわかります。この試練を
しっかり受け止める事が出来るよう、そして何を教えて下さりたい
のか、この事でのメッセージは何なのか、求めて行きたいです」と。
試練は悲しいが、必ず平安な義の実が約束されている。痛いが、受
け止めて行けるよう祈ろう。
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包み隠せない心を注ぎだして試練の時には祈る。主と一時も離れず
結びついているのが試練の時ではないだろうか。結果がどうであれ、
主への信仰が深められて試練のトンネルを抜けたい。