2019年05月01日(水)

「たとい、主が天に窓をつくられるにしても、そんなことがあるだろうか」U列王7:2



飢饉で人々が餓死する非常事態の中、エリシャは「明日小麦や大麦
が溢れるばかりにある」と語った。すると侍従はそんな事があり得
ようかと言った。それを聞いてエリシャは、あなたはそれを見るが
食べられないと預言した。そんな時、サマリヤの門に四人のらい病
人がいた。町は飢饉、どうせ自分達は死ぬ。それなら敵の陣営へ入
ってみようと。

もしや食料があるかも知れない。すると敵の陣営で、神が敵に、大
軍勢の騒ぎを聞かせられ、襲撃と勘違いするようにされた。敵は驚
き恐れ、陣営を置き去りにしたまま逃亡した。それでそこに入ると、
山ほどの金銀と食料が溢れていた。彼らは、王家に知らせた。王は
信じなかったが、偵察により事実を知った。

すると大勢が殺到したので、門の管理をしていた侍従は踏みつけら
れ死んだ。預言通りになった。実際、溢れるほどの食料を神は用意
された。しかし、それを信じなければ、自分のものにはならない。
溢れる食料があるにかかわらず、飢えて死ぬ事になってしまう。私
達も同様だ。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされる
事・・、

溢れる食料の中にいながら、信じなければ、餓死するように、溢れ
る恵みの中で、不信仰でいないだろうか。自分で恵みを遮断してい
る、侍従は自分の姿ではないだろうか。溢れるばかりの、驚くばか
りの恵みの中で、信じようとしない自分に気づく事から始まる。そ
れはそのまま祈りに持って行ける。主はその祈りに答えて、信仰へ
と導いて下さる。
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目の前の現実が心を支配し、本当に御言葉は成るのかとつぶやく。
不信仰のつぶやきをひとつ、ひとつ主に差し出して祈ろう。今しか
見えない恐れも、主が守ってくださる。御言葉を信じる信仰へと進
もう。