2020年05月01日(金) 「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:8
「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:8
ダビデは、理不尽にもずっとサウル王から攻撃を受けた。それは命 をも狙われる攻撃だった。サウルの命を救い、良い忠実な部下であ り、何一つサウルに悪い事をしていない。むしろ王にとっては戦い に長けた素晴らしい部下だった。それが連戦連勝のダビデに対する 女たちの賞賛、人気に、サウルが激しく嫉妬したゆえであった。 ダビデは、常に死と隣り合わせの状態だった。いつ殺されるかも知 れないなどと、どんなに恐怖と不安、苦しい状況だろう。更にサウ ル王だけでなく、実子のアブシャロムからも敵対され、攻撃される。 その上病気にもなり、もうボロボロで、極度に弱り果て、ダビデは 泣くしかなかった。 「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべなく 泣いて泣いて嘆いた。ダビデは信仰者であり、神の心に適った者と 言われている。信仰すれば、悩みが無くなるのではない。主は、私 たちの信仰を試され、鍛えられる。苦しみの時に、どうしても切実 に願う事は、目の前の状況が変わる事だ。 問題が無くなって欲しい、ただただ悩みが去って欲しい。しかし苦 しみの時こそが、神が神であられる事を身をもって知る時だ。ダビ デは嘆きをそのまま主に持って行った。私たちも、そのまま心にあ るものを主に持って行ける。ありのままを受け止め、心の内を聞い て下さる。 そして言葉にならない、心の内を理解して下さる。その叫びや恐れ の、その奥にあるものをもわかっていて下さる。主は一番の理解者 だ。主は泣く声を聞かれ、私たち自身を受け入れて下さる。主のも とにに持って行こう。 -------------- 主は私を愛し、私の悩みに心を用いてくださる。それを知っている から祈る事ができる。出来ないから祈り、失敗しては祈り、弱音を ことごとく主の元に持っていき祈れる。