2021年03月01日(月)

「みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」マルコ12:44



主が献金を投げ入れる様子を見ておられた。金持ちたちが次々と大
金を投げ入れた。そこに貧しいやもめが来て、レプタ二つを入れた。
極めて僅かなお金だ。しかし主は、この女性がどの金持ちよりも多
く献げたと言われた。皆は有り余る中から献げたが、彼女はあるだ
け全部を献げたからだと。

彼女は全財産として僅かレプタを二つだけ持っており、その内の一
つを献げても良かった。もう一つで何か買えたかも知れない。しか
し彼女の溢れる出る主への感謝は、全部を献げる行為となった。献
金とは献身だ。それは自分自身のすべてを主に任せる事であり、主
は明日からの必要も必ず与えて下さる事を信じたからだった。

主はその信仰を見られ、受け取られた。この世では、まず自分が第
一だ。まず自分を守らねばならない。何より自分が大切で、自分の
ために確保する。それだけでは不安なので偶像に頼る。まず自分を
第一にし、金持ちのように有り余る中から少しは献げる。しかし私
たちも、同じこの世の価値観があるかも知れない。神第一と言われ
るが、まず第一に自分を守ろうとする。

しかしそのために、どこまでも不安は尽きず、絶えず思い煩いにさ
いなまれ、平安がない。自分で何とかしようとするので、思い煩う
ばかりだ。まず神を第一にして行く時、秩序が正しくなり、すべて
の必要は備えられ、そして何より心は思い煩いから自由にされる。
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与えられば減っていく事を心配し、与えてくださる主より、与えら
れたものでいかに自分を守ろうかと考える。このやもめ女性の主に
委ねきっている姿は何とすがすがしいことだろう。