2021年05月01日(土)

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべて の武具を身に着けなさい」エペソ6:11


サタンは私たちの「思い」に攻撃して来る。「悪魔はすでにイスカ
リオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた」と
あるように、悪魔が、ユダの心に、主を裏切る「思い」を入れた。
悪魔が持ち込んだものだった。ユダは、主を裏切る思いが、サタン
からのものである事に気づかなかった。力の限り、心を見張ってい
よう。

最初にサタンが私たちの心に、「思い」を入れる。だがその思いを、
受け入れるか、拒むかは、人間の側の選択だ。サタンからの吹き
込みを、拒否せずに、同意し受け入れた時に、「サタンが彼には
いった」と御言葉は言っている。ユダが拒まず、その思いを自らの
意志で選択した結果、サタンに支配されてしまった。

サタンからの思い自体は罪ではない。朝から晩まで一日中、様々な
思いを吹き込んで来る。それを選択し、同意し、受け入れる時に罪
となる。欲がはらむと罪を生み」の通りに、自らの強い欲望のある
ところに、サタンが誘惑を吹き込み、それを受け入れ、その思いを
妊娠させてしまう。妬みや憎しみ、恐れや思い煩い・・その思いに同
意し、受け入れてしまっているだろうか。

心が真空状態の時に、サタンは思いを吹き込む。賛美や御言葉、
祈り、主を思う時に、心は守られる。心を、力の限り、見張れと言
っている。心を見張る人などいない。そのためサタンが自在に働け
てしまう。心を見張っていよう。祈っていよう。

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絶えず、絶えず同じところにサタンは来る。執拗に来る、その根元
に何があるのか、祈ってみよう。その根にあるもの、苦い根を引き抜
いて頂こう。苦い根に気づく事は、祝福の第一歩だ。頻繁に、しつ
こく来る思いによって、サタンに気づける。