2022年03月01日(火)

「王は・・『まことに、おまえたちに告げます。おまえたち が、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにし なかったのです』」マタイ25:45



「靴屋のマルチン」の話を聞いた事があるだろうか。主がマルチン
に現れて「明日、お前のところに行く」と言われた。マルチンは大
喜びで嬉しくてたまらず、翌朝は働きつつ、窓の外に目を留めてい
た。外は凍えるように寒く、老人が雪かきをしていた。彼はその老
人を家に迎え入れ、温かいお茶を振る舞った。

次に、寒さの中、赤ん坊を抱いた貧しそうな母親が目に入った。マ
ルチンは急いで出て行き、その母子を家に招き入れ、暖かいショー
ルを与えた。主はいつ来られるのだろう。まだか、まだかと待ちわ
びていると、少年が、老人のかごからリンゴを盗むのが見えた。

マルチンは少年のために執り成し、一緒に謝り、赦してもらった。
一日が終わり、とうとう主は現われなかったと、マルチンは、がっ
かりした。すると主が「今日、お前のところへ行ったのがわかった
か」と問われ、主の姿が、雪かきの老人、貧しい母子、リンゴを盗
んだ少年の姿に変わった。

主は、目の前の助けが必要な人に手を差し伸べるなら、「わたしに
したのである」と。たいそうな事でなくとも、些細な、小さな事
で、
必要とする人に与えるなら、主はそれをしっかり受け取られ、豊か
に報いて下さる。小さい者とは、普段、余り気にかけない者の事
だ。
それなら家族はどうだろう。

他人には配慮し、丁寧に礼儀正しくし、素晴らしく良い人になる
が、
家族にはつい甘えが出てしまい、無遠慮で、配慮を欠くかも知れな
い。目の前の、最も身近な家族こそを、まず大切にしなければなら
ない。そこから従って行こう。
-------------
傍にいる家族には遠慮のない肉の思いで対応してしまうが、また、
すぐに改めて、実行することもできるのではないか。いつも祈って
いる家族に愛を持って丁寧に接していこう。