2022年10月01日(土)

「『・・彼女のもとで身を低くしなさい』また、主の使いは彼女に言 った。『あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきえな いほどになる』」創世記16:8



アブラムとサライは、子どもを与えるとの主の約束を待てず、女奴
隷ハガルにより子供を持とうとした。ハガルはみごもった時、高慢
になり女主人を見下げた。それに激怒したサライは、ハガルをいじ
めたので、ハガルは辛くて逃げ出した。孤独で、荒野にいた時、主
の使いが「サライの女奴隷ハガル」と語りかけた。「サライの女奴
隷」と、はっきりと現実を見せ「あなたはどこから来て。どこへ行
くのか」と。

ハガルは居場所を失い、自分を見失ない、行き場を失っていた。
「女主人から逃げている」と答えた。苦しみから逃げたいばかりだ
った。すると「あなたの女主人のもとに帰り、彼女のもとで身を低
くせよ」と。ハガルはサライの奴隷なので、戻り、へりくだって、
女主人に仕える事がハガイのすべき事だった。そこがいるべき場所
であった。

一番したくない、苦痛で、嫌な事であろうが、実はそれこそが、ハ
ガルにとって、一番幸せで平安の道だった。自分の遣わされた場所
から逃げても、真の解放感も平安も無い。私たちも自分を見失ない、
行き詰まる時、主と新たに出会う事により自分を取り戻せる。又ど
んな主人であれ、見下げる事は御心ではない。そこで平安を失って
しまう。

私たちも、相手に関係なく、自分は主との関係において、御心に歩
むならどんな状況であれ、心は平安だ。主が平安を与えて下さるか
らだ。そして主はハガルをも心にかけ、子孫を数え切れないほどに
増やすと約束された。自分語りかけられた神と出会い、主のあわれ
みと恵みを受けたハガルは、主に従うべく、サライのもとに戻った。

・・・・・・・・・・・・
辛い苦しい試練の時は、逃げ出したいと思う。楽な方へ行きたい。
逃げるといっ時の、肉の解放感がある。しかしそこを逃げも全く平
安は無い。へりくだりが必要だが、へりくだって主の御心の場所に
とどまる時、何にも代えられない主の平安を経験する。