2022年12月01日(木)

「ひとりのサマリヤの女が水を汲みに来た。イエスは『わたしに水 を飲ませてください』と言われた」ヨハネ4:7


主はユダヤからガリラヤへの途上、あえてサマリヤを「通らねばな
らなかった」。ユダヤ人はサマリヤを通らない。ユダヤ人とサマリ
ヤ人は付き合いをしなかった。しかし主はサマリヤを通られた。そ
れは非常に渇いて、救いを求めている一人の女性に会うためだっ
た。

主は「旅の疲れで」井戸のかたわらに座られた。非常に疲れておら
れた。主も私たちと同様に疲れを覚えられる、私たちの良き理解者
だ。ここで彼女は偶然、主に出会ったのではない。主の方が、彼女
を求められたからだった。そのためわざわざサマリヤを通られた。

主から「わたしに水を飲ませて下さい」と話しかけ、会話の糸口を
作られた。そしてその場で、個人伝道をされた。彼女の心は渇いて
いた。その空洞を満たすために男性を求め、5回の結婚と離婚を繰
り返し、今は同棲中だった。何度結婚しても、心の空洞は満たされ
なかった。

女性たちが、お喋りを楽しむ夕方には姿を現さず、人目を避けて、
カンカン照りの昼間に水を汲んでいた。人の目をはばかる生活であ
った。そんな心虚しく生きていた彼女に、主が近づき、罪を示し、
救いを与えられた。すると今まで人と会わず、隠れていた彼女が、
生活に大切な水がめを置いて、町へ出て行った。

そして人の前に出て、言った。「来て、見て下さい」と主イエスを
指した。彼女は満たされ、変えられた。同様に私たち一人〃をも、
主は目を留めて下さったので、救いに導かれた。そして今もずっと
変わらず、慈しみ、目を留めていて下さる。
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最悪の底で主に出会う。主を知り、主に知られているという事実に
大きな慰めと新しい力を得る。主に出会え主に委ねて歩める平安に
感謝だ。