2024年07月01日(月)

「兄はおこって、家に入ろうともなかった。それで、父が出て 来て、いろいろなだめてみた。」ルカ15:28



兄は、一日の畑仕事から帰ると、家から宴会騒ぎが聞こえて来た。
しもべに何事かと聞いた。すると放蕩ざんまいの弟が無事に戻り、
父親が宴会を開いて、大喜びしている事を知った。兄は怒りの余
り、家に入ろうともしない。父親は出て来て、兄息子を色々となだ
める。

しかし激怒の兄は、食ってかかる。「自分は、長年、毎日〃大変な
畑仕事をし、あなたの下で働いてきたのに、一度のほうびも、もら
った事がない。なのに好き放題をして、もらった全財産を使い果た
した弟の帰りを喜び、宴会までするなどと」と、もう怒り心頭だ。
兄には、父の言葉もいっさい入らない。

弟は、父のもとでの生活は窮屈で、嫌で面白くなく、自由に好きな
ようにしたかった。肉のおもむくまま、好き放題をし、お金を使い
果たし、死にかけた時に、初めて父との生活が、いかに恵まれてい
たかに、思いが至った。しかし真面目に毎日〃働く兄も、実は同じ
だった。強いられた義務であり、嫌なしたくない事であった。

義務で、嫌々働いているだけで、何の喜びも無かった。だから、弟
が好き勝手をし、またそれを赦し、受け入れる父に、激しい怒りで
震えた。兄は、我慢に我慢を重ねていて、本音は弟のように、好き
放題に生きたかった。父と共にいる事に何の喜びも無かった。

しかし、父はその兄をいっさい責めず、叱らず、私のものは、全部
おまえのものだと、兄に対しても深い愛と慈しみしかない。霊の目
が開かれて、この父の無条件の愛を知れたら、どんなに喜びと感謝
が溢れる事だろう。
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自分に与えられた主の愛やあわれみ、慈しみの全てを、自然に当た
り前としか思えないなら、何と味気ない弱々しい日々だろうか。
いつも主にありのままを祈り、主と生きている喜びを受け取ろう。