2024年10月01日(火)

「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、 七回も地に伏しておじぎをした。エサウは・・彼をいだき、首に抱き ついて口づけし、ふたりは泣いた」創世記33:4



ヤコブは父イサクを欺いて、兄エサウの長子の権利を奪い取り、祝
福の祈りを受けた。その後、ヤコブは激怒のエサウから逃れて、遠
く伯父の家に身を寄せた。そこで結婚し、尚も、巧く財産を築いた。
多大な苦労をした中、ついに主から帰郷を示されるも、エサウの怒
りが恐怖だ。まず、しもべたちを列の先頭に、2番目に家族の列、
一番後ろに自分がついた。エサウに襲われても自分は助かるように
と。

ヤコブの大きな恐れと不安ゆえだった。ヤコブは神に祈るのだが、
助けが欲しいばかりで、どこまでも自分の利得、自分の幸せのため
だった。とうとう瀬戸際で、どうにもならず、心底の助けを求めて、
神に祈った。するとある人が、夜明けまで彼と格闘した。ヤコブは、
祝福してくれるまで放さないと、しがみついた。その時、もものつ
がいがはずれ、彼は砕かれた。

ヤコブは悔い改め、初めて神の顔を見たと。初めて心が神に向き、
平安を得た。すると、一番後ろにいた彼が、列の先頭に立ち、兄と
再会し、和解が与えられた。私たちも信仰人生で、砕きが臨む。
辛い苦しい試練に会った時だ。どこまでも頑なな自我がある事も、
教えられる。自我が主に従うことを妨げている。

苦しみに、又、自分の罪にぶち当たる時、心が神に向く。新生して
いても、自分が中心で、自分の利得、自分の喜びを求めていた事に
気づく。主が頑なな心を砕いて下さり、自分の思いでなく、主のみ
思いに目が向き、御心を求めるようにされる。神が変えて下さる。
----------------
主に目が向くとき、自分の助けを求めるばかりでなく、主の前に正
しくなかった事も示され、真に悔い改めていける。自分で頑張らず、
へりくだり、主に委ねていける。なんと感謝だろう。