2025年03月01日(土)

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさび で、きず物になり、また盗人が穴を開けて盗みます。自分の宝は は天にたくわえなさい」マタイ6:19


「自分の宝を地上にたくわえるのはやめよ」とあるが、自分の宝と
は何だろう。自分に大切なもの、重要な価値あるもの、生きがい
であり、これが無くては生きて行けない。それが、その人の「宝」
だ。それは金品とは限らない。ある人にとれば、名誉や社会的
地位、才能や仕事、趣味、又、家族や愛する人かも知れない。
プライドかもしれない。自分が非常に執着しているもの。

しかしそれは死後、持って行けない。「私たちは何一つこの世に
持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできない」。パリ
サイ人は、人々の賞賛を得るために、人に見せるために人前で、
自分の力で、善行をしていた。人によく見られるがためであり、
地上に宝を貯えるためだった。それを止めよと。そして「自分の
宝は天にたくわえよ」と。

「天に宝をたくわえる」とは、主を信じ、自分の力でなく、主の恵み
によって生きることだ。それは日々、主の喜ばれる事、主の御心
を尋ね求め、御心を行なって生きることであり、今日の日を天に
繋げて生きることだ。「目が健全なら全身は明るい」、目が健全
とは、二心でなく単一であり、あれもこれもと目移りせず、一心に
一つのものを、すなわち天を見つめること。

もし目が濁っていれば、それはあちこちと目移りし、天には向いて
おらず、それなら全身は暗いままと。地上で執着するものがあれ
ば、目が天に向いて行かないと。自分の宝は何だろう。取り扱っ
て頂こう。

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主への渇き、霊的食欲、主を求め、慕い求めることを、一番大切
なものを、地上の宝により、妨げられてしまう。霊的食欲が減退
していたら、御霊の気づきにあずかれるように。自分の宝、偶像
も御霊によって照らされ、取り扱われますよう。