2005年10月01日(土)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい・・報いが受けられません」(マタイ6:1)

愛に満ちた主イエスが嫌われたもの
があった。それは偽善だ。「蛇」「まむ
しの末」「白く塗った墓」と痛烈な言葉
を発された。人に見せるために、人か
らの賞賛を得るために善行をなす事
を非難された。しかし、山の上の町は
隠れる事が出来ない。良い行いを見て
人々が天の父をあがめるようにせよと
も言われた。これらの事により主が見
られるのは私達の「動機」だ。問題はど
のような動機で善事を行っているかだ。
自分が崇められるためになら、それは
罪だ。しかし、御霊に示され、導かれ神
のために行なっているなら神は喜んで下
さる。その時あなたが自分を輝かせる
のではなく、神があなたを輝かせて下
さるのだ。「何のために」しているのか
御霊によく心探って頂こう。
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もし人の歓心や賞賛を得るために、又
自己満足のために幾ら懸命に何かを
しても、それは神の前に無だ。しかし、
御霊に導かれて行うなら、神は喜ばれ、
豊かに実を結ぶ。天に宝を積む。人が
見ていようといまいと神の御前に生きよう。