2006年10月01日(日)

「信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって」Tペテロ1:7


金は高熱の中を通り、純金とされて行く。
ガラスも高温の中を通り、素晴らしい作
品に造られて行く。鉄も、高熱の炉に入
れられ、溶かされて、鉄鉱石から不純物
が取り除かれ、叩かれ、精錬される。そ
のような過程を通って研がれて、磨かれ
て行く。私達が信仰者として鍛えられ、
練られ、聖められて行く過程によく似て
いる。精錬され、研がれるのは痛い。非
常な苦痛を伴う。しかし、放っておかれ
る方を心配した方がよい。私達はとにか
く平穏な生活を願う。問題が無いこと、
悩み、苦しみが無い日々を願う。しかし、
安穏な日々が続くなら神を求めない。祈
らない。自分で生きてしまう。神から離
れてそれすら気づかない。自分の楽しみ
を求め、目の前の美味しい草を食べなが
ら、気づくと迷子になっている。神は私
達を研ぐために、環境を、よく人間関係
を用いられる。あなたは今、難しい対人
関係で高熱の炉に入れられ、練られ研が
れ削られているか。間に合う器に造り変
えられている。相手によって傷つき、苦
痛に感じる、又、イライラし、怒りを感
じる自分の内に、何があるのかよく探ろ
う。何が引き出されるのか。プライドか
虚栄心か高慢か、そこを削り取って下さる。
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神がされる事で無駄なものは一つもない。
目の前の状況に、感情共に振り回される
のでなく、背後の神のみ思い、お心を探
り求めよう。何を教えたくて私のどこを
砕きたいのか。痛いだけで、何の成長も
ないのは悲しい。