2006年12月01日(金) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24
信仰生活の中で、絶えず、古 い価値観や、自分の思い、自 の方法、肉の欲望が顔を出す。 これが主について行くことを させない、妨げる。それゆえ、 自分を捨てない限り、主につ いて行けない。古い人、古い 価値観が、主に従って行こう とする、新しい性質とぶつか り、葛藤する。自分の思い通 りにしようとする自我や、様 々なものに執着して、捨てる 事の出来ない自分をまず認め る事が大切だ。幾ら頑張って も、自分では出来ない。 自分でしようとせずに、あり のままの、出来ない自分、世 に執着し、世を愛している自 分を、主に申し上げて行くの だ。ありのままの姿を祈りで 告げて行く時、主が働いて下 さる。今すぐ出来なくても、 不思議に必ず出来るようにし て下さる。ついて行けるよう にして下さる。くびきをしっ かり負う時、そのくびきは 「わたしのくびき」だと言っ て下さる。そして、そのくび きは負いやすく、荷は軽く、 安らぎが来ると。出来ない ありのままをまず、主に告 げよう。 ------------- どうしようもない自分だと気 づいているはずだ。それをそ のまま主の御前に広げよう。 自分が重荷と思っているもの、 捨てられないものを主が一緒 になって下さる事を覚えて。