2007年10月01日(月)

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています」ローマ7:18



何人もの人が同じ証しをする。嫌い
な相手がいて、悶々としながら「愛
せるように」「どうか愛せますよう
に」と祈り続けていたが、幾ら祈っ
てもダメで、祈りが全く聞かれない。
ある日、いつものごとく「愛せます
ように」と祈っていて、違う、本心
ではないと気づく。本音では愛した
いなどと全然思っていない。愛せま
すようになどと、大嘘だ。口先のき
れい事だ。「大嫌いです」「愛した
いと思っていません」とありのまま
の自分を認めて、「そのような私で
す」と祈って行った時に、初めて祈
りが聞かれたのだ。相手に対する愛
情が与えられ、「今じゃ相手が好き
ですよ」と。「愛せるように」は、
きれい事だ。私は良い人なので、立
派な事をしようとしていると勘違い
する。心の中の醜い汚いドロドロの
実際の姿は、おおい隠されて、私は
愛そうとしている良い人間と勘違い
る。建前だ。建前の祈りは祈っても
無駄だ。はなから聞かれていない。
実際は、自我が強く、自己中心で、
憎むは、敵対心は持つは、裁くは、
そのような自分を認める必要がある。
その時初めて、人を愛せない私を、
愛して下さっている神の愛を知る。
丸ごと受け入れられている、無条件
の愛を経験する。神が受け入れて下
さっているのは、本音のあなただ。
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本音では従えないのだ。そこを知ら
なければ変わりようがない。従えな
いところに介入して下さる神様に本
音で向かおう。祈りが変えられ本音
の自分に神様の恵みが及ぶ。