2008年03月01日(土)

「なぜ、このようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」使徒5:4

アナニヤとサッピラの間違いは偽った
事だ。ペテロは企みだと言った。魔が
差した、でき心ではなく計画的だった。
その丁度前にバルナバが畑を売った。
皆の多大な賞賛を受けたのを見て、自
分達も賞賛を求めた。しかし、バルナ
バや献げた人々には「信仰」があった。
もし不意の事態が起きたら?病気やけ
がで働けなくなったら?その時は、愛
していて下さる主が、必ず責任持って
必要を与えて下さると信じていた。だ
から献げた。だが、アナニヤとサッピ
ラにはその信仰が無かった。恐れと不
安で全部を献げる事は到底できなかっ
た。大切な点はここだ。全部献げなく
ても全く構わない。一部なら一部を献
げればよい。「振り」をしない事だ。
信仰深い振り、霊的クリスチャンの振
り、親切、愛情深い振り、それは欺き
だ。「そこまでの信仰はありません」
「一部です」と言う事を神は責められ
ないでむしろ喜ばれる。信仰無いと認
める人こそ、神から信仰を与えられ成
長して行く。信仰がないと、自分の力
と思いで生きて行くので、そこに神が
働けない。アナニヤとサッピラは、主
を信じていたが、自力で自分の人生を
歩んでいた。だから目に見える人の評
判を求めた。「献げられません」「人
が気になります」と主の前に正直に認
めて行く時、自分が変えられて行く事
を発見する。
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主は本音の私を愛して下さっている。
心の奥底を洗いざらい告げよう。本音
を告げるからこそ、神がありのままの
私を受け止め、愛して下さっている事
がわかる。安堵と喜びが来る。