2009年07月01日(水) 「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか」伝道7:13
「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか」伝道7:13
私たちは、神が曲げたものを、まっすぐにしようとして、何と悪戦苦闘、不毛の戦いをする事だろう。神が曲げられているのに、それをまっすぐにしようと、頑張る。 まっすぐにならないので、尚も苦闘し、信仰の戦いだと勘違いする。苦しくてどうにもならない。もはや性根尽きた時に、自分の力が失せた時に、神が曲げたものだと見えて来る。 どうしてまっすぐにしようとするのか。それは、視点が、軸が、自分にあるので、神が見えない。自分の思い通りが善であり、思い通りでない事が悪だ。 ここが間違いだ。「神のみわざに目を留めよ」自分の思い通りでなく、神のみわざを見よと。人生、自分の思い通りには決してならない。 神の主権を認める時、神が曲げたと見えて来る。 そして、それは神のみわざが現れるためだと。その時、物事が、信仰の目で見えて来る。 これが大切だ。まっすぐであろうと、曲がっていようと、それは神から来ている。 神の主権を認め、曲がっているものを受け入れる時、神のみわざが現される。 自分自身も成長して行く。何よりもそこに平安を得る事ができる。 あなたも神が曲げたものをまっすぐにしようと、悪銭苦闘しているだろうか。 神が気づきを与え、神の視点で見せて下さるように祈ろう。 新たにされて、前進できる。 -------------------- 神様が、あえて曲げておられる、との視点に立ってもう一度見てみよう。自分の独りよがりで孤軍奮闘していないだろうか。祈ってもどうにもならない事は、受け入れられるようにとの祈りに変えてみよう。