2002年12月01日(日)

「器官は多くありますが、からだは一つなのです・・それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」(Tコリント12:20)

ある教会に、身体の弱っている老婦人がいた。
いつも忠実に礼拝に出席し、体調の加減で、礼拝
が終るとすぐに帰宅していた。教会の活動に参加
することも不可能だったし、ゆっくり交わる事もでき
なかった。しかし、彼女の忠実な信仰と喜び輝いた
笑顔は、多くの人々への励ましであった。更にすば
らしい事は、彼女が誰も知らないところでしている
かけがえのない尊い奉仕だった。彼女は朝早く
起きると、祈りの時を持った。牧師のため、働き人
のため、兄弟姉妹のため、活動のため、試練に
ある人々のため、宣教師達のため、忠実に執り成し
ていた。彼女はからだの中で、祈りの奉仕をして
いたのだ。彼女と語る時、祈りの答えを聞かない
事がなかった。又、いつも祈りのリクエストを聞いて
くれるのだった。彼女はからだを建て上げるために
自分にできる事をしていたのだ。教会に大きな
祝福をもたらしていた。どんな状況でも、必ず
できることがある。